虎日記

ちょっとずつ更新

2016.02.08(お風呂と自分の部屋で考えたこと)

もう日付は超えちゃってるけど寝るまでその日ということで。

 

そろそろ書きたい時に書こうって感じになってきたのでそれはいいとして、更新の頻度はちょっと上げようとは思っている。

で、ふと今日(というか昨日だけど)思ったことをひとつ。

 

大丈夫か少女たち

ご存知の方は結構少ないと思うのでまず前提の話として、自分は塾で中学生を中心に指導していてつい先週の木金で私立高校の入試が終わったという話をしておく。

これを踏まえた上で気になったことをちゃんと書いておこうと思う。対策を見つけたいことが目的ではないが書いておいて後に見た時に対策がふと思い浮かぶくらいにしておきたい。

近年、というかだいぶ前からではあると思うが最近中学生でも腐女子ということを包み隠さずに公表する子というものはいる。もちろん腐男子もいるのだが(自分自身中学生当時からそうだった)腐女子の方がかなり目立っているので今回は腐女子の話を。

腐女子の子たち、それはまあ普通にこのカプ良い!とかこれこれ良いから観てとか読んでとか。ある程度隠して生きていく必要があった自分の時代からすると、かなり生きやすいし優しい世界になったなと思っている。もちろん声を大にしすぎるのも考えもので、ある程度は抑える必要はあるがそれは今回の話とちょっとズレるので省いておく。

腐女子であることは悪いことではなく、ぜひとも応援をしたいところではあるのだが、いささか成績が本当に悪い子が多いなという印象を受ける。もちろん腐女子でない普通の子たちでもヤバイなと思う子は多いのだが、その子たちは自分で今自分がヤバイところにいるっていう事実をしっかり認識できるので、成績を改善できる子が多い。しかしながら主に腐女子の子たちは現実逃避としてカプとかいろんなところへ逃げる術に長けているので、自らがヤバイということに気づかず(あるいは意図的に避けて)成績を改善できないことが多い。

なんとか高校受験をしてなんとか受かるかな?ってところまで一応持って行けたようだが、合格してからでももちろん成績に関する問題は彼女らに付きまとうことは間違いないなあと見ていて思う。そもそも行ければ高校はどこでもいいやはかなりまずいぞ少女たち。君たちの選択で自らの推すカップルや漫画、アニメを応援できるかできないかが決まってくるんだから現実の事もしっかり認識してくれ。

 

自分自身、腐男子だと思っていて、腐女子の子たちと比べると控えめではあったが結構現実逃避をしていた。現実逃避が長い間続いた結果、大学が卒業できるか、更には就職できるかのところに立たされているので現実のことに関してしっかり考えることは必要である。

この問題は腐女子腐男子に関わらず現実をしっかり認識しようとしないすべての子に関わる問題なので、指導する側としてはまず認識させる援助をさせてあげたいところ。

誰かこの記事を見てたら何らかの援助ができないか教えてもらえると幸いである。

 

生きて

めちゃくちゃ重い見出しだなと思ったけど他に浮かぶものがないのでこれで。中身はそこまで重くない。

昨日の晩、もしくは一昨日の晩かな、創作を一日しなかったのでゆっくりして寝ようと思いつつツイッターを見ていると、絵をまったく描いていなかった人が描いているどころかその絵が上手いのである。本人曰くちゃんと資料見て何回も描けばいけるとは言っていたのだが、一瞬にして心が折れた気がした。もちろんその人が悪いわけではなくむしろ不屈の心で素晴らしいとさえ思ったのだが、結構くるものがあったのかわからないが自分は創作を辞めかけた。

音楽を作り、最近は絵やデザインの練習をしている。デザインに関しては就職に関することなので辞められないし辞めたくはないのだが、音楽と絵に関しては完全に趣味である。音楽に関しては何回も挫折を繰り返し(今も繰り返して)、なんとかまた作ろうという気になれるのだが、自分はどうも絵を描くときは音楽の時の気持ちを持ってきてしまうようで。それが原因で絵が描けないときはだいたい創作をやめようか考えるようになった。これの対策は見つけられたらいいのだが、恐らく一生付きまとう問題であり対策は見出しようがないだろうと思うのでここに書き記すだけに留めておこうと考えた。

現在読んでいる本でちょっと元気が出たのだが、承認欲求は他人のため生きる人生を作ってしまうためこの哲学では否定する、といった内容で結構気が楽になった。とは言いつつもやはり見て欲しいことに変わりはないしこれからも承認欲求は大なり小なりついてくるので、まずは創作を辞めなくてもいいんだという気持ちを持つことから始められたらいいのになと思う。創作がなくなったら自分は死体であることに変わりがないという考えに至ったのでなんとかして生きたい。まだ生きたい。あわよくば12か13歳くらいに戻りたい。

 

ここまで書いて思い出したのだが、ここまで悲しい感情が浮かぶようになったのは小学生高学年か中学生に曾祖母が亡くなってからのことだということにも今日は気づくことができた。事実そうだったかどうかわからないが、そこから生きることと死ぬことについて考えるようになったと思う。

死にたいと思うことはあれどなんだかんだ言って生きていくのだろうなと今のところは思っている。